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好きな歌詞をただただ訳すだけの人

2016年の作詞家│① ソ・ジウム「私の中の『中2』を、ずっと分別のつかないままにしておくのだ」

元記事ize


近頃のアイドル産業において、最も重要なのはキャラクターだ。EXOの「ウルロン」とLovelyz「AH-CHOO」Red Velvetの「DUMB DUMB」などを作詞したソ・ジウムはチームのイメージをひと目で描き出す歌詞を書く。一体どのような過程を通してそのような歌詞を生み出すことができるのか、彼女にひとつひとつ尋ねた。ソ・ジウム作詞家の返答は良い歌詞を書くことについての話でもあり、 誠実な職業人の人生についての物語でもあった。

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最近、LovelyzとOH MY GIRL、MNET [プロデュース101]など作詞した作品が一度に出ていた。 

ソ・ジウム:実際に作業した期間を明かせば、以前したものと最近したものと半々くらいだ。似たような時期に公開されたので、作品がより多く見えるのだと思う。最近もずっと作業はしているが、とてつもない量なので、そのうち再充電を兼ねた旅行をしようと考えている。歌詞を書いていると、毎回頭の中が雨雲がかかったみたいに曇る瞬間がある。旅行をすればすっきりする感じがあるから、新たに作業ができる力が湧いてくる。



[プロデュース101]では、「YUM-YUM」と「FINGERTIPS」、「CRUSH」まで3曲の作詞を担当したが、チームのカラーが明確でない状況でより大変だったのではないかと思う。

ソ・ジウム:どうしても、新人よりもキャラクターのあるチームが楽ではあるが、[プロデュース101]の場合はメンバー達が多様なカラーを見せてくれることを望んでいるような気がして、始めから透明な状態で始めた。ひとまず作曲家の方達が求める内容を多く参考にしたりもしたし、曲を最大限たくさん聴きながらキャラクターを読み取ろうとした。ガイドを聴いてみたら、「YUM-YUM」はピチピチと弾むハツラツとした雰囲気、「FINGERTIPS」はそれよりももう少しやわらかくて成熟した感じだった。「CRUSH」は「オタク通事故(交通事故のように偶然で突然にある分野のファンやマニアになること)」というコンセプトで作っていった曲であるし。



歌詞を書く時に、別にレファレンスを探したりはしないのか。

ソ・ジウム:90%ぐらいは想像力に頼っている。時々どこからか得たインスピレーションをメモに書いておいたりもするけれど、実際に使用することはほぼ無い。「この歌にこれを絶対に入れなきゃ」という意識を持っていると、枠にはめている感じが出るから。間接的に経験したこと、友達から話を聞いたり映画を通して見たものなどが、作業に没頭している状態のときに自然と浮かんでくるのだ。特に私は幼い頃から本と一緒に育ってきたほうなので、そういう経験が作詞でも何気に役に立っているのだと思う。その中でもSFや推理小説、ファンタジーなど私が実際に経験できない物語が好きなのだが、そのせいかファンタジー系の歌に出会うと水を得た魚になる(笑)。EXOの「蝶々少年」や「月光」、「BLACK PEARL」、OH MY GIRLの 「CLOSER」、「LIAR LIAR」みたいなものがそうだ。



事務所の方からそういった雰囲気を注文する時もあるのか。

ソ・ジウム:だいたい10のうちの8、9はガイドラインを細かく貰うことはない。ただ自由に書いてくれと言われる。だから歌を聴いてみて、ある程度はファンタジーっぽい歌詞を入れても良さそうだ、よく似合いそうだと思えば入れるほうだ。



そういう場合、チームがこれまで維持してきたキャラクターとずれたりはしないか?

ソ・ジウム:どうしても、キャラクターやストーリーテリングはアルバム毎に変わるのではないだろうか。該当歌手についての情報をよく知らない時は前作を参考にしたりもするけれど、一番重要なのは今入ってきたガイド曲だ。この歌を会社が選んだということは、その中にある感じやキャラクターが気に入ったからだと思うから。だからこの曲を聴いて感じられる部分をうまく生かせばいいと考えている。ひとつの曲で会社と作曲家と私が疎通しているのだ。ガイドラインを大きくくれなくても「今回のコンセプトはこういう感じでいきたいんだな」という感が働く。



それでも、F(X)の「ELECTRIC SHOCK」は最初から「4行詩を入れてくれ」というリクエストがあったと聞いた。

ソ・ジウム:ガイドを聴いた時に、そのリクエストが全くおかしくなかった。『電、電、電流が』という部分の拍子が「タン、タン、タンタタタン」という韻を踏んでいるみたいだったし、それが四行詩と似たように聴こえた。全く異質感が無くて、四行詩を書くことが自然だと思った。もちろん難しい作業だから、今語るにはとても恥ずかしい単語達をあれこれたくさん入れたりもした(笑)。結局すべて脱落して『電気衝撃』が残った。



作詞した曲の中で、「ELECTRIC SHOCK」の『電気衝撃』のように核心の単語からすでにグループのイメージがある程度見えるものが多かった。例えばEXOの「ウルロン」やLovelyzの「AH-CHOO」、Red Velvetの「DUMB DUMB」のような曲。 

ソ・ジウム:まず「DUMB DUMB」はガイドバージョンから「DUMB DUMB」という単語がつけられていた。その場所に他の候補達を乗せてみたが、それだけのものが無く全て脱落し、「DUMB DUMB」を活かして書いてみたら残りの節の歌詞も自然と浮かんだ。実は作詞をする時、何か人々の頭に残るような文句を入れるためにたくさん意識している。頭に残るサビを作る時には、ギャグマン達が流行語を作るみたいに接近するのだ。人々がそれをたくさん口ずさむだろうか?たくさん覚えて歌ってくれるだろうか?「ウルロン」もそういった過程で作られた歌詞だ。繰り返されるサビに似合う文字を何度も選んで、どんなものが一番インパクトがあるのか、どんなものが一番雰囲気を喚起することができるのか、ひとりだけのレースを開いてみる。



周囲の人々の反応を聞いてみたりもするか。

ソ・ジウム:最初はそうする時もあったが、今は違う。まだ完璧だとは言えないが、作業をしているとだんだん第三者の目で自分が書いた歌詞を見つめるノウハウが生まれるというか。しかし曲が公開された後にリスナー達の反応は相変わらず調べている。



その中で記憶に残っているものは何か。

ソ・ジウム:文章を正確には思い出せないが、たくさん賞賛をして下さって少しずつ力になっていたと思う。一方では「くだらない」とか「中二病」みたいな良くない反応も多い。「ELECTRIC SHOCK」と「ウルロン」を書いた時が特にそうだった。弟にこんなコメントを見せながら「ねぇ、この人達が私に向かって『くだらない』だって」と言ったら「うん、ちょっとそれはあるね」と言われた(笑)。それと、見ていた反応の中で一番胸が痛かったのは、ハングル破壊だ、文法破壊だというものだった。この場を借りて言い訳すれば、私はハングルを愛しているし、最大限文法を破壊しないように努力している。これからも文法を守りながら綺麗な表現をたくさん探していくつもりだ。



海外ファン達が多いK-POPの特性上、外国語の歌詞の重要性も高いのではないかと思う。

ソ・ジウム:そのためにも私はハングルをたくさん入れたいと思うタイプだ。もし英語とハングルが似たようなインパクトで似たような感じなら、ハングルを選ぶ。ハングルが入った時にぎこちない節があるとか、依頼している側が「ここは英語を活かしてください」と言うのなら仕方ないけれど。「ウルロン」の中国語バージョンも他の部分とは違ってサビだけは「ウルロン」という単語がそのまま入っている。置き換える単語が無いんだと言っていた。こんな風にハングルが広く知られることができるんだな、と思いかえって嬉しかった。



元々の専攻が言語関係なのか。

ソ・ジウム:違う。音楽でも言語でも文学でもない。ただ好きだっただけだ。それでどんなことをできるだろうかと悩んで、作詞について知ることになって「私は音楽も好きだし文を書くことも好きだから上手くできるだろう」と考えた。その後作詞の学校に1年ぐらい通って、機会に恵まれてハ・ドンギュンさんが歌ったSBS「お願いキャプテン」OSTの「胸の片隅」でデビューした。



デビューがすごく早かった。

ソ・ジウム:そうだ。デビューも早かったし、デビューしてすぐテティソの「TWINKLE」のような有名歌手のタイトル曲を書いたことも奇跡だと思うくらいに異例なことだった。アイドルの歌詞を書いたのは「TWINKLE」が初めてだったが、よく言う「大ヒット」しているのを見ながらとても震えたし夢みたいだった。家族も外で歌が流れるたびに「お姉ちゃん、今洗車場を通ったらお姉ちゃんの歌が流れてたよ」、「店の前を通ったら娘の歌が流れてきたよ」といって電話をくれたりもした。だけど人間がずる賢いのは、そういうのに慣れるのがすごく早い(笑)。今では慣れてきて、自分が書いた記事が出ても不思議じゃないし、「あぁ嬉しい、ありがたい」ぐらいの感想だ。



漠然と夢見ていた時と直接仕事をするのはまた違うから。

ソ・ジウム:最近まで悩んでいたのがそのことだ。以前は仕事さえできれば何でもやるという覚悟で挑んでいたとしたら、いまでは「あぁ…また仕事か」こんな風になってしまった。自分でも知らないうちに仕事を先延ばしにしている姿を見ながら、少し懐疑心を感じた。しかし、ただ認めてからは楽になった。どんなに好きだったものでも今では私の仕事だから、時々は面白くない時もあるし、それが自然な感情だ。そうしてみると圧迫感も減って、今は以前よりも少し重く考えることなく作業できるようになった。もちろん、昔は音楽も楽しさのために聴いていたとしたら、今では自然と仕事のことを考えてしまう。ポップソングを聴きながら、韓国語の歌詞をつけるならどのように書くか思い巡らしたりするとか。だけど仕方ないのだろう。これが私の仕事だし、こうなってしまったんだから(笑)。



作詞家志望生達に教えるまでになったが、何が最も基本だと話しているのか。

ソ・ジウム:まずは作詞家だという意識を捨てて、曲が作っておいたキャラクターへ没頭すること、そしてその人の口で語らなければならないということ。授業をしていると、作詞家の存在がとても大きく感じられる歌詞を多く受け取る。自分の文を歌詞として作りたいという欲が飛び出てしまえば、それは歌詞ではない。自分が書きたいことと、この歌が今語っていることは完全に別の問題だから。歌をよく聴いて、歌が語る物語を読み取ることが重要だ。上手く書かないと、格好良く書かないと、素晴らしい文章を作らないと、というのが作詞家の意識だが、そうするとかえって不必要な修辞をしてしまう。そういうのは見れば読み取れる。



歌の中の話者になるというのはどういう意味だろうか?

ソ・ジウム:例えばドラマの台本だとすれば、作家達はこどもから老人まで違う登場人物のセリフを本当にその人になったみたいに書くのではないか。それと全く同じだと思う。やってみたことがないと難しく感じられる仕事だけれど、一度経験してみれば誰にでもできるはずだ。



これからもアイドルの歌詞を主に書くことになると思うが、それならば本人も10代、20代の感性を失わないことが重要になりそうだ。

ソ・ジウム:しかし実は今でもだいぶ歳だ(笑)。ある時は自分が歌詞を書いていても少し照れくさい感じがあることもあるが、幸運にも分別のついていない「中2」が自分の中に内蔵されているみたいだ。その子をずっと分別がつかないままにしておかないと。



時が経つのが心配ではないのだろうか。

ソ・ジウム:前もってわざわざ心配したりしないようにしている。作詞家としてデビューした時から、「どんな話者にでもなれる」と誓ったし、「私はこういう部分が少し弱い」という考えはしないように努力した。いつかは若い感覚の歌詞を書けなくなる日が来るだろう。だけどその時まではただ自分を信じてあげたい。どんなやり方でも制限せず、何でも書くことができると。